🚍車旅-鹿児島県(知覧で思うこと)

23日晴れたり曇ったり
昼間は24度と、とっても暖かでした


知覧特攻平和会館へ来ました


昭和16年陸軍飛行学校知覧分教所が開講
少年飛行兵、学徒出陣が操縦訓練を重ねた所です
昭和20年陸軍特攻基地となり
沖縄戦で特攻戦死された1.036名の隊員のうち
主として知覧基地から開聞岳の南に飛び去りました。

小太郎くんは
抱っこで中に入れましたが撮影はNG
土曜日なので沢山の方が来られていました


日本と大切な人を守るために
若くして散った特攻隊の遺書など
資料が多数展示されております


自筆の遺書には、残していく人たちへの感謝と願い
とくに母への感謝の言葉が多く
「母様へ親孝行をできなかった謝罪から
死して初めて親孝行ができる喜び」の遺書
幼い子供宛に、カタカナで書かれた遺書
どんな思いで書かれたのか・・・
私には想像すらできません


飾られた写真の顔がみんな若くりりしい
明日出撃する17歳18歳19歳の笑顔が
なんともいえない、辛すぎます


特攻機
胴体部分がちぎれている「零戦」です(撮影OKでした)


三角兵舎、特攻隊員の宿舎
2,3日後には出撃されたそうです

ここで遺書を書いたんです


塘路と桜並木


薩摩の小京都
知覧武家屋敷群へ

(ホームページより)


歩道に鯉が泳ぐ美しい町です


私の亡き父も、特攻隊員でした
あと数日で出撃するという時に終戦を迎えたそうです

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